「分離しても平等」から「分離したら不平等」へ

 まず、これはかつて行われていた人種差別のお話です。アメリカでは公共施設や公共交通機関で白人と黒人を分離することは差別にあたりませんでした。当時はレストランや公園、電車、バス、学校などが、人種によって分けられることが当たり前のこととされていました。もちろん、当時もアメリカ国民は法の下に平等とされていました。しかし、平等の解釈は「分離しても平等であるなら差別ではない」というものです。この「分離しても平等であるなら差別ではない」は、1896年の「プレッシー対ファーガソン事件」裁判での、アメリカ最高裁判所での判決です。

 この判決から約半世紀後、1954年に「ブラウン対教育委員会」の裁判がありました。これは、白人の学校と黒人の学校が分けられていた当時、白人の学校に通おうとした黒人の訴えによる裁判です。この裁判では、それまで「分離しても平等であるなら差別ではない」とされていた判断を覆したもので、「人種分離した教育機関は不平等」としたものです。

 では、どうしてこのような正反対の判決がなされたのでしょうか。同じアメリカの最高裁判所での判決です。そして、どちらもその当時はそれが正しいとされました。この2つの裁判の間には約50年という時が経っています。その間に何があったのでしょうか。

 それを考えるにあたって、まず正しいとしたのは誰でしょうか。もちろん、判決を下したのは最高裁判所です。ですが、最高裁判所の裁判官の心変わりでしょうか。裁判官が替わったからでしょうか。そうではありません。それは、多くの国民、メジャーな勢力、マジョリティ、世論、社会が変化したからです。そしてその変化が反映されたからなのです。

 時代とともに、正しいとされることは変わります。それは、時代とともに人々の考えが変わったことを反映してのことです。

 そして、これは「人種」についてのお話ですが、これを「障害」に置き換えて考えるとどうなるでしょうか。

 白人専用の学校と黒人専用の学校で分けることは人種差別にあたります。

 健常者専用の学校と障害者専用の学校で分けることはどうなのでしょうか。

 それを決めているのは私たち一人一人の考え、そしてその総意です。

 ですから問うのです。 「障害者と健常者は分けるべきですか?」


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